トイレの神様に導かれて

2020/1/23/4:31

2019年7月5日、それは天から降っきたように脳裏をよぎった。
ちょうどトイレにこもっている時だった。
私はフリーランスながら某雑誌の編集長を4年間務めてきた。自慢ではないが、編集者というよりは企画屋で、以前勤めていた出版社ではアグネス・チャンさんや内田康夫さんのエッセイ集も手掛けている。 某雑誌では立木義浩さんや倉本聰さん、香川京子さんの連載にもかかわったが、2017年春からスタートさせた大林宣彦監督のコラムには特別な思い入れがあった。大林監督のコラムは部下のHが編集担当、ライター・榛名かなめの構成で、毎月1回、約3時間の取材を続けてきた。
トイレでひらめいたのは、膨大な時間を費やした取材の内容を一冊の本にまとめられないか、ということだった。某雑誌のコラムで使っているネタは取材した内容のほんのひと欠片。大林監督が伝えたいことは、まだまだたくさん残っていた。それを出版社の力を借りず自らの手で形にしたかった。
実は、私とHは夢ラボ・図書館ネットワークという特定非営利活動法人(NPO)を2014年12月に設立していた。そこでは立場が逆でHがNPOの理事長の任に就いていた。そのNPOでは活動内容の柱として「図書館の蔵書としてふさわしい書物の企画と出版」を掲げていた。だが、それが具体化することはなく4年以上が経過。やりたかったことが記憶の中に埋没してしまっていた。だが、トイレの中で力んでいて「NPOでの出版企画」がふと甦ってきたのである。 夢ラボを版元にできないものか…と。
早速、トイレからLINEでHに打診。「ポジティブ」を人生の指針にしている(それだけが取り柄のような)Hからはすぐさま「Good!」という返信があった。
“トイレの神様”に導かれたようなアイデアだけに「ウンがついてる」と意気揚々になった私だが、問題は書き手。大林監督の取材にあたったライター・榛名の協力なくして実現はしない。文字数も10万字は必要だ。一朝一夕に書き上げられるものではない。しかも、榛名に発注するのはちゃんとした出版社ではなく、貧乏NPOなのだ。
榛名にはトイレの中からではなく、実際に会って、この出版企画の話をした。当初、榛名には理解できなかったようだ。それはそうだろう。某雑誌の編集長である私が別の法人で本を出すというのだから、不可解極まりないはずだ。しかし、点になった榛名の目が正気に戻るのに要した時間はほんの数秒だった。「コラムとは別物。自分たちでつくりたいようにつくる!」という意図に共感してくれたようだった。文字数10万字も「なんとかいけそう」という。
かくしてのちに原稿の執筆作業を進める中、私を「鬼」と呼び、自らを「年貢に苦しむ百姓」と称した榛名、柔和な笑顔で何事も丸め込み、のちに「人たらし」と呼ばれるHの3人での“大林宣彦プロジェクト”はスタートしたのである。

大林宣彦氏プロフィール

1938年1月9日、広島県尾道市生まれ。映画作家。自主製作映画の先駆者としてCMディレクター、映画監督として活躍、“映像の魔術師”と称されている。1977年に『HOUSE/ハウス』で商業映画に進出。代表作は『転校生』『時をかける少女』『さびしんぼう』の“尾道三部作”、『この空の花―長岡花火物語』『野のなななのか』『花筐/HANAGATAMI』の“大林的戦争三部作”など多数。2004年に紫綬褒章を受章、2009年に旭日小授章を受章、2019年の文化功労者に選ばれている。2016年8月に肺癌が判明、ステージ4まで進行しており「余命6カ月」、のちに「余命3カ月」と宣告されるが、抗癌剤治療が奏効し、現在は「余命は未定」。2020年4月に最新作『海辺の映画館―キネマの玉手箱』が公開。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする