翔んで尾道 その6

2020/3/2/5:51

茶房こもんのオーナー大谷さんの案内で尾道市内をめぐった後に訪ねたのは、尾道の山の中腹にある大林監督の生まれ育った家。いまは誰も住んでおらず空き家となっているのだが、大豪邸だったころの面影をそのままにたたえている。お屋敷はかなりの敷地面積を誇り、裏には監督のお父様が経営していた病院の看護師さんたちが暮らしていた3階建ての寮もある。
監督のお父様は大先生と呼ばれて、地元の人々に慕われていたという。そんなお父様をはじめ、大林家に生まれた男子は代々医者になることが決まっていたのだが、宣彦少年はこの家で活動大写真機と出合い、医学の道ではなく映画の道に進んだ。活動大写真機を「じゃうききかんしゃ」(蒸気機関車)の玩具と思い込んだ宣彦少年は、それを庭に持ち出して機関車ごっこをして遊んでいた。宣彦少年が幼かった頃は、家の窓から山の下を通る蒸気機関車を見ることができたようだが、いまは庭に植えられた木々が成長し、鉄道を見ることはできない。そんな窓の外、遠くを見やれば、瀬戸内海に浮かぶ巨大な新尾道大橋がかなりの存在感を表していた。
昔の尾道の面影は、窓の外にはほとんどうかがえなかったのだが、一方で大林家の中は昭和からときが止まっているかのようだった。
その屋敷の片隅に古いピアノが佇んでいた。それは宣彦少年が幼い頃から弾いて遊んでいたピアノで、監督の新作『海辺の映画館ーキネマの玉手箱』にも登場する。このピアノを劇中で弾いたことについて、監督に尋ねたら「調律もしていない狂ったピアノは自由だ」とおっしゃっていた。ピアノのレッスンを受けたことはなく、独学で感じるままにピアノを弾いてきたという大林監督。「自由に生きよ、それが平和の証だ」と、医師の道ではなく映画の道を志した息子を送り出した大先生の魂がピアノに宿り、監督の奏でる旋律に表れでるのかもしれない。

つづく

生家に残るピアノ

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

コメントの入力は終了しました。