翔んで尾道 その7

2020/3/2/6:03

大林監督のご実家に残っていた写真などの資料は、尾道新聞の幾野さんが保管しており、茶房こもんに戻ってから、それらの資料を見せていただいた。監督の幼少期の写真はもちろん、小学生の頃に描いた絵や成績表(!)などもあり、監督がどんな少年期を送っていたのかがうかがえる、貴重な資料ばかりだった。
中でも印象に残っているのは、ご結婚された後に恭子夫人が監督のお母様に宛てて書いた手紙だ。その時々の気候や世間の様子に始まり、監督の近況、娘の千茱萸さんが生まれてからは成長の報告など、かなり頻繁に恭子夫人は手紙を認めていたのだ。
手紙のやり取りは、監督が若かりし頃、8ミリや16ミリで自主制作の作品をつくっては、仲間とお披露目会を催していた時期だろうと推測する。地元の名士と呼ばれていたご実家の方々にしてみたら、映画製作という仕事なのか遊びなのかわからないことに明け暮れる監督ご家族が心配でならなかっただろう。しかし、監督は映画の力を信じてその道を突き進み、ご実家の方々は尾道から見守っていた。
監督のお父様は戦時中、軍医として戦地に赴き、敗戦後は尾道で町医者となったのだが、本当は医学の研究者になりたかったのだという。しかし、戦争によってその道を閉ざされてしまったのだと監督から聞いたことがある。戦争がお父様の自由を奪ったのだ。
戦争が終わってニッポンはさまざまな選択肢のある自由な国となった。そんな中で監督は、お父様の分まで自由に生きることが自分の使命だとおっしゃっていた。
父の思い、息子の思いが、大林映画には込められている。

戦時中の手紙

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

コメントの入力は終了しました。