よし、熱意と人柄だ!

2020/3/24/6:27

鬼との出会いはかれこれ13年くらい前になるだろうか。「人たらし」と呼ばれるようになるずっと前、私は編集とは縁もゆかりもない仕事をしてきたのだが、アラフォー(古いかしら)にもなろうという頃に編集プロダクションに入社した。当時はまだ編集という仕事は人気があり、就職難という時代背景もあり、その編プロの求人募集にはたくさんの若者が殺到した(と採用後に聞いた)。応募した理由は一度はやってみたいという職種だったいう単純な思いだけ。経験もないし、若くもないから採用されるわけがないと、「ケ・セ・ラセラ」の精神で面接に臨んだ。ここがのちに「人たらし」といわれる起源となるのかもしれない。どうやら熱意と人柄だけで入社することができたようだった。
それからというもの、NHKの大河ドラマの本やテレビ雑誌、大企業の社内誌などなど、さまざまな雑誌の制作に携わってきた。編集の勉強しながらの作業だったので、相当にハードルが高く、時間と体力を奪われ、悪戦苦闘の日々を送った。しかし、自分の意思で飛び込んだ世界だったことと、多くの入社希望者を蹴落として入社したのだから、そう簡単には辞めるわけにはいかない。熱意と人柄だけは失わず仕事に邁進してきた(つもりだ)。
そんな日々が続く中で、行われた会社の忘年会。ヒョロッとしてちょいイケメン面の男性が現れた。たまたま隣席になったのだが、なにせ初対面。忘年会にはゲストとして来ているのだろうから、主催者側としてはおもてなしの心が大切だ。よし、熱意と人柄だ!
「今までどんなことをやられてきたのですか」
「雑誌とかいろいろ…。小説家になりたいんですけどね…」
「今も書いているんですか?」
「少しづつですけど…」
頑張ったけど、この辺で限界だ。この人は愛想というものが欠けている。
しかし、彼こそがのちに「鬼」と呼ばれる人だったのだ。やがて某雑誌の仕事のメンバーとして顔を付き合わせることになるのだが、仕事が終われば、その人の「さ、行きますか」の一声で酒を酌み交わし(愛想あるじゃん)、編集者としての矜持、人生論なども語り合うようになった。
あれから月日は流れ、その人は「鬼」と呼ばれ、私は「人たらし」となった。そのふたりが出版社を始めるとは、誰も想像しえない出来事であった。私たち自身も想定外のことだった。しかし、「大林宣彦監督のメッセージ集」の企画を思いついたところから、すでにそのステージは用意されていたのだろう。こうして私はユニコ舎の創業者のひとりになったのだが、これも必然だったのか…。
鬼から『キネマの玉手箱』の推薦文を書いてくれる人を見つけるよう、指令が下った。よし、熱意と人柄でアタックしてみようと決意。超大物との交渉が始まる(続く)。

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