大林マジックの正体

2020/5/10/5:34

先日、『キネマの玉手箱』を読んでくれた友人とLINEをしていた。友人は、大林作品は『時をかける少女』と『転校生』を見ただけで、特段大林ファンではない。映画自体、時間のあるときに見る程度である。
その友人は、「大林映画は広島尾道が映画の舞台ということ以外で戦争へのつながりがわからないなと思っていたけれど、本を読んで、元々映画というのは戦争の士気を高める道具として作られた。だからこそドキュメンタリーではなく、嘘の塊としての映像にこだわりがあった…というのを、なんとなく、なんとなくだけど、分かった」と言っていた。
そのやりとりをしていて、この「なんとなく、なんとなく」というのが大林マジックなのだと思った。大林監督にインタビューをしていると、そのときは「なんとなく」ふんふんと理解しているようなつもりになるのだが、いざ原稿を起こそうと思うと、その言葉が二重三重に意味のあることだったりする、ということの連続だったように思う。
大林監督の言葉は、「なんとなく、なんとなく」何かを感じて考えるきっかけとなり、そして、新たなものの見方に気づかせてくれるはず。友人とのやりとりから、改めて大林監督の言葉の力を思い知った。

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