北海道・恵庭 奇跡のまちづくり

チームの力で笑顔が弾けた! 幸せなまちで暮らす人たちの証言

北海道恵庭市――。道央に位置するこのまちの名前はアイヌ語の「エエンイワ」(頭・尖っている・山)に由来し、市域の約3分の1が森林地帯である。
恵庭の開拓は1870年(明治3年)に高知藩が移住したことに始まる。市制施行したのは1970(昭和45年)。実に100年を経てのことであった。
牧場、鉱山、演習場で知られた恵庭のイメージが大きく変わったのは1980年(昭和57年)の恵庭ニュータウン恵み野の分譲開始がきっかけであった。
1988年(昭和63年) 、まだ開発途中にあったニュータウンに内倉真裕美は移り住む。未だ荒涼とした原野の風景が残るこのニュータウンを自分たちの子供たちが誇れる故郷するために、彼女は花の種をまき、苗木を植えた。その第一歩はやがて住民たちの心の中で“希望”という大輪を育んでいく。恵み野は個人宅の庭を公開するオープンガーデンが盛んになり、日本有数の「花のまち」として知られるようになる。そして2022年(令和4年)、恵庭に誕生した「花の拠点・はなふる」で第39回全国都市緑化北海道フェアが開催された。
見渡す限りの原野を美しい花のまちに変えた内倉真裕美の軌跡と、彼女が巻き起こした奇跡を一冊の本としてまとめたのが本書である。
住民たちの心を結びつけた花、市民活動を原動力とした“まちづくり”、それに手を差し伸べた行政。少子高齢化や過疎化が進む現代、本書には危機を回避し未来を創るヒントが満載!

[企画・監修者(内倉真裕美)コメント]※「はじめに」より
1998年の春、私たち家族は恵庭市の恵み野へ引っ越してきました。3人の子どもを連れて転校生の説明会へ向かった日のことは今でも鮮明に覚えています。「春休みや夏休みが終わるたびに一学級分くらい子どもが増える」と聞いて驚いたものです。
当時の恵み野は“住宅街の夜明け”そのもの。信号はまだなく、あちこちで家が建ち、工事の音が響いていました。「町が育っていくってこういうことなんだな」と胸が高鳴ったのを覚えています。
父母会では皆さん明るく、役員もすぐに決まりました。単身赴任家庭や専業主婦が多く、みんな“新しく来た人”同士。「どこから来たの?」「お子さん何人?」と自然に会話が始まり、先輩住民から情報をたくさん教えてもらいました。
「この辺りには何にもないのよ」とよく言われましたが、私は思ったのです。何もないって、何でもできるということ。
──ここ恵み野は、白いキャンバスなんだ。
ある日、自宅で紙芝居を始めると、宣伝もしていないのに50人以上の親子が集まりました。これがきっかけで「おはなしさんた恵夢」という親子サークルが誕生しました。
新聞掲載をきっかけに縁が広がり、恵庭リサーチパークに出向していた市職員・中島興世さんは「無料で貸します」と申し出てくださり、ホールとか大会議室で例会やお話会を開催しました。恵庭市職員でつくる「まちけん」の方々が10人以上で私の話を聞きに自宅まで来てくれたときは感動しました。
「まちづくりでやりたいことがあれば協力します」
そんな言葉が恵庭では自然に交わされます。行政と市民が一緒にまちを育てる姿を肌で感じていました。
夫・春男さんとの出会い、3人の子どもたち、そしてこの町。「子どもたちのふるさとを作りたい。花に囲まれた美しいまちにしたい」──
そんな夢を行動に移せたのは、周囲の温かさがあったからです。
北大名誉教授の故・若浜五郎先生は「内倉さんの発想は面白い。どんどん進めなさい。何かあった時には僕が頭を下げるから」と背中を押してくれました。サンガーデンの故・藤井哲夫社長も「面白そうだな」と目を細めて協力してくださいました。
今や恵庭は「本のまち」「花のまち」と呼ばれています。「巻き込まれた〜!」と笑いながらも一緒に町を育ててくれた仲間がいます。私が来た当初は5万人でしたが、2022年には全国都市緑化北海道フェアも実現し、人口は7万人を超え、今も増え続けています。
そして2024年の夏、私の“最たる被害者”であり最愛の夫・内倉春男が77歳で旅立ちました。最大の理解者だった彼がいない今、ふと思います。
──春男さん。ここは、あなたにとって「ふるさと」になったのかな?

[編集部より]
本書は内倉真裕美さんを発起人としたクラウドファンディングで刊行しました。たくさんの支援者の熱い想いが込められています。恵庭を“花のまち”に変えていったさまざま人たちの声を大切に編集作業にあたりました。
ご支援いただいた方々へ御礼申し上げます。


企画・監修 内倉真裕美
出版年月日 2025年6月16日
ISBN 978-4-911042-08-3
仕様 A4判オールカラー
頁数 128頁(本文)
定価 1,800円+税


内倉真裕美(うちくら・まゆみ)
1954年3月20日生まれ。北海道由仁町出身。1988年に恵庭に家族とともに移住。「花のまち」として知られる北海道恵庭市で八つの花の組織を立ち上げ、恵庭市の花のまちづくりを展開。洞爺湖サミットの花の町並みを提案、東日本大震災3.11ガーデンチャリティの支援活動も行った。ガーデンアイランド北海道理事長、恵庭花のまちづくり推進会議会長も務める。


目次
第1章:恵庭を花のまちにしよう 花に魅せられた内倉真裕美の挑戦
第2章:自然と文化が薫るまち 世代を超えた交流が子どもの心を育む
第3章:花のまち恵庭を全国に発信! 次世代へと繋ぐ官民協働のまちづくり
第4章:美しいまち並みを守り、つくり、育てる 未来のまちづくり
第5章:熱意あふれる市民の声 市民協同で受け継がれる恵み野の文化

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