葛根廟事件の真相

ユニコ舎刊『境界』シリーズの著者の一人、大島満吉氏の取材時音声をYouTubeチャンネル「境界 大東亜戦争の記憶」で順次公開。大島氏が満州での生活と、ソ連軍による日本人民間人を虐殺した”葛根廟事件”の全容を伝えます。全10回予定。
[葛根廟事件]1945年8月14日、満州国興安総省の葛根廟付近において起こったソ連軍による日本人避難民襲撃事件。日本人避難民千数百人のうち千人以上が虐殺、あるいは自決したとされる。生き延びたのは、のちに見つかった残留孤児を含めても百数十名とされているが、ソ連(ロシア)はその事実を未だに認めてはいない。奇跡的に生き延びた大島満吉氏は「生き残った者が語らなければ、この事件は歴史から消え去ってしまう」と語っています。

【葛根廟事件の真実PART.10/最終回】父(肇)は葛根廟事件の犠牲者を供養する「興安街命日会」を創立。残留孤児となったウユン(日本名:立花珠美)さんは日中友好の架け橋となり、砂漠の緑化活動を進める。
【葛根廟事件の真実PART.9】故郷の群馬みなかみ町へ帰郷した大島家。満吉さんの学校生活が再開する。父(肇)は家族を養うために寝る間も惜しんで働き続ける。
【葛根廟事件の真実PART.8】新京で暮らし始めた大島家。兄(宏生)と満吉さんは、あらゆるものを拾って売り歩き、一家の飢えを凌ぐ。1年後の1946(昭和21)年10月4日、大島家は念願の帰郷が叶った。
【葛根廟事件の真実PART.7】地元民の助けにより銃殺刑を免れた父(肇)。大島家は再び首都・新京を目指し歩き始める。地元民から鎮東に日本人収容所の存在を教えられ、そこで初めて日本の敗戦を知ることに。
【葛根廟事件の真実PART.6】葛根廟から首都・新京を目指し歩き始めた大島家。兄(宏生)と母(久め)ははぐれてしまうが、地元民の助けで再会する。父(肇)は突如現れた民兵に銃殺刑を言い渡されてしまう
【葛根廟事件の真実 PART.5】母(久め)と満吉さんは、偶然、父(肇)と兄(宏生)と再会する。家族で壕から脱出をしようとする父だが、娘(美津子)を殺めてしまった母は、その場を離れようとしなかった。
【葛根廟事件の真実 Part.4】ソ連軍の猛攻撃で血に染まった葛根廟の平原。父(肇)と兄(宏生)の行方が知れない中、3人の子供を連れた母(久め)は辛い選択を迫られてしまう。
【葛根廟事件の真実 Part.3】愛犬チビとの辛い別れの後、大島家は足早に避難地・葛根廟へと向かう。しかし葛根廟で待っていたものは、ソ連軍の猛攻撃だった。それはまさに阿鼻叫喚の修羅場だった。
【葛根廟事件の真実 Part.2】「我々が語らなければ、この事件は歴史から消え去ってしまう」(大島満吉氏談)。ソ連軍の満州侵攻により興安街の日本人に避難命令が下る。彼らに予期せぬ事態が待ち受けていた。
【葛根廟事件の真実】終戦前日、旧満州国で起きた葛根廟事件。ソ連軍により民間日本人およそ1200名の日本人が殺戮されるなか、奇跡の生還を果たした大島満吉さんが知られざる真実を語る。【Part.1 】
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