弊社刊行の『送別歌』(宝田明著)をまとめた構成作家の安木由美子さんから、3月14日に他界された宝田明さんに捧げる追悼原稿が弊社宛てに届きました。宝田さんの最後の仕事になってしまった映画「世の中にたえて桜のなかりせば」を鑑賞したあとに執筆した原稿です。弊社ブログにて掲載させていただきます。
2022/4/9/15:55
宝田明さんへ送る言葉 安木由美子
2022年春。桜の開花を待つ中、突然報じられた宝田明さんの訃報。車いすながらお元気なご様子で、4月1日公開の映画「世の中にたえて桜のなかりせば」の舞台挨拶に臨んでおられた姿を眼にした直後のことだった。
2020年の7月から10月にかけての3カ月のあいだ、『送別歌』制作のため宝田明さんの事務所に通った。世界は新型コロナウイルスのまん延におののき、マスクが対策とマナーになり始めていたころだ。
ユニコ舎から宝田明さんの著書の構成をやってみないかとの打診を受けたとき、私はちょっぴり躊躇した。「俳優・宝田明」といえば大スターである。とはいえ、昭和40年代生まれの私にとってはあまり馴染みがなく、映画スターの半生記にどう向き合えばいいのか、向き合えるのか…自信がなかった。ところがそんな思いとは裏腹に「ありがとうございます。よろしくお願いします」と私は答えていた。何を隠そうユニコ舎の工藤代表は私の文筆業の師匠である。断る理由、いや断れる理由は一つもなかった。引き受けると決まってからは、宝田明さんの略歴や出演作品、過去の著書等を初回訪問までのあいだにせっせと勉強した。
7月1日、梅雨明けには程遠いような空が広がる雨の中、JR京浜東北線の王子駅に降り立った。駅のホームからは緑深い飛鳥山公園を臨むことができ、街の歴史が感じられた。この年の梅雨は、たいへん雨の日が多く、連日湿った空が東京の街を覆った。
待ち合わせ場所に着くと、ユニコ舎の二人もぐっしょりと濡れた傘をぶら下げていて、開口一番「ひどい天気ですね」と言ったけれど、私はちょっと安心した。だって、こんなに盛大に雨が降るなんて幸先いいではないか。というのも、私は雨女どころか土砂降り女で、コトの直前まで大雨で本番はカラリと晴れるということが多く、そういう場合は大抵うまくいくことも多かったのだ。
宝田明さんとはこの日が初対面だった。背が高くスマートで、ダンディという言葉がぴったりのお姿に惚れ惚れした。素敵な姿に一気に緊張が高まってしまい、私の質問はしどろもどろである。宝田さんはそんな私の声にじっと耳を傾け、真摯に、そしてユーモラスに話をしてくださった。そのお気遣いがまた申し訳なく、自分が情けなくもあり、帰りは行きよりも大きく膨らんだ不安を胸いっぱいに抱えて電車に揺られていたことを思い出す。
訪問のたび、宝田さんは私たちに丁寧に向き合い、熱心に語ってくださった。とくに印象深かったのは、戦争体験のお話と仕事観、人生観だった。じっくり言葉を選び、時に言葉に詰まり、涙をこらえて語られた戦争体験は壮絶であった。満州で終戦を迎えた宝田少年の人生に戦争がどれほど影響したか…。華やかな映画界で活躍しながら、宝田さんの心から決して離れることのなかった想い、それは不戦不争だったのである。
そのことがわかり始めると、『送別歌』の構成も一気にまとまってきた。奇しくも「ゴジラ」という水爆実験の産物である生物を描いた作品で初主演を務めた宝田さんの俳優人生は、その使命に導かれたものだったのもかもしれないとも感じた。
4月。宝田さんがW主演を務めた「世の中にたえて桜のなかりせば」が公開となった。私はゆっくり時間の取れる日を選び、身だしなみを整えて映画館へ足を運んだ。劇場内はほぼ満席だった。スクリーンに現れた宝田さんの表情、声、立ち居振る舞い、すべてが『送別歌』制作時に仕事観として伺ったお話を思い出させた。
この作品のエグゼクティブプロデューサーも務められた宝田さん。桜をメインモチーフに、異なる世代の悩みや想いを交差させ、じんわりと心に語りかける作品に仕上がっていた。
映画館を出た私は『送別歌』制作に関われたことを心から感謝し、宝田さんから教えられたことを改めて思い返していた。
『送別歌』という書籍のタイトルは、終戦後、宝田さんが満州から引き揚げてくるときに、大陸の友人や暮らしに別れを告げ、再会を誓う思いを詠んだ自作の漢詩のタイトルから引用した。何度目かの訪問時に中国語が得意だった宝田さんが漢詩「送別歌」を筆で書いてくださり、中国語で詠んで聞かせてくださった。本のカバーデザインの筆文字はそのときのものである。中国語の浪々とした響きが美しく、魅了された私はすぐに暗唱してしまった。私の拙い発音の「送別歌」を満面の笑みでほめてくださったことが懐かしい。
宝田明さんの戦争体験に触れたことをきっかけに、ユニコ舎では『境界 BORDER』という戦争体験者の手記集シリーズの制作がはじまった。題字は『送別歌』同様、宝田明さんである。
ロシアによるウクライナ侵攻が始まり混沌とした世界に心を痛め、憂いておられたことだろう。まだまだ世に問い、訴えたいことがおありだったに違いない。不戦不争を伝え続けること。それを宝田さんへの私からのささやかなご恩返しにしよう。
桜舞う空を見上げ、私はそう誓った。