安木由美子著『閑事 草径庵の日々』刊行(11月24日)記念に安木さんがかつて千葉県の新聞販売会社が発行していた文学通信紙『総国(ふさのくに)逍遥』(2010年7月~2013年2月)で連載していたミニコラム「暮らしの中の哲学エッセンス」をリバイバル公開。『閑事 草径庵』以前の安木さんの人生哲学の一端に触れられる特別連載です。
ゆるりうちわの風とスピノザ暮らし
むうっとした熱い風が通りを渡る夏の日に思い出すのは、大叔母を訪ねた学生の時のこと。夏座敷に設えた広間に入ると、浴衣姿の大叔母が穏やかな笑顔でうちわを渡してくれた。水流の中を金魚が泳ぐ絵柄だった。大叔母もそれを手にし、胸の前でゆったり動かし、ゆるりと風を送っていた。その姿の涼しげだったこと!
人生を楽しむ達人の哲学者スピノザは「欲望は人間の本質そのものである」と言った。暑い暑いといっても涼しくはならない。便利さや快適さを求める心を、例えば見た目や言葉の響きがもたらす涼感に向けてみる。蒸し暑さも、スピノザ流に「暑さを楽しんでいるから快適なのだ」と思えたらいい。窓の外には、夏がいっぱい広がっている。
(『総国逍遥』2010年8月号より)