暮らしの中の哲学エッセンス №16

安木由美子著『閑事 草径庵の日々』刊行(11月24日)記念に安木さんがかつて千葉県の新聞販売会社が発行していた文学通信紙『総国(ふさのくに)逍遥』(2010年7月~2013年2月)で連載していたミニコラム「暮らしの中の哲学エッセンス」をリバイバル公開。『閑事 草径庵』以前の安木さんの人生哲学の一端に触れられる特別連載です。(毎日更新中!)

『閑事 草径庵の日々』

いいものは、嬉しい

朝の空気に手袋という言葉を思い出した日、冬の靴を修理に出した。スーパーの一角にあるリペアショップ、白髪のおじさんはイタリア人のような風貌だ。「すぐ直してもらえて助かりました」台風あとの良く晴れた日、年配の女性がグリーンの傘を手に立ち去った。
「これ…まだ履けますか」私はこそっと古びた靴を出した。おじさんはふんふんと両手でその靴を受け取り「いい靴だね、全然問題ないよ」と言った。それはスウェードでつま先はエナメル、切り替え部分にパールが五つ付いた黒のフラットシューズ。修理しながら履き続け、気付けば20年程になる。お気に入りだけれど、さすがにもう履けないかなと思っていたのだ。
2時間後、カウンターの上にひと足先にきりりと冬支度を整えたその靴を見つけ、思わず笑みがこぼれた。日々を上機嫌に暮らすヒントは、理屈ではなくこんな楽しみの中にある。寒い日が、待ち遠しくなった。
(『総国逍遥』2011年11月号)

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